普通も時代もそうじゃなくても。(30代で思うこと、その一部) – 日なたのアイスクリーム

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普通も時代もそうじゃなくても。(30代で思うこと、その一部) – 日なたのアイスクリーム

SNSやブログで詳細までは語らないですが、たぶん生き方としてはそれほどマジョリティ側ではない気がしています。あくまでもこれまではそうかもしれないしこれからもそうかもしれないし。
自分が特別だと言いたいわけでもなく、はたまたないものを数えて自虐ぶりたいわけでもなく、淡々とそうなんだよなあという感じ。
今はどんな生き方も選べる時代とか時代は変わったとか、そんな話もありますがあまり公に「時代は変わった、だから私を認めておくれよ」とオラオラするつもりもない。詳しくは後述。
正直自分の根本は昔から変わっていないのである意味時代が勝手に追いついてくれているわけで ありがたい話ですよ全く。ほんとになんかごめんだよ…とすら思う。生きやすく「なってしまった」。そう思ってすらいる。
 
私の友達や周囲には既婚独身育児独立出世街道爆進するしないなどなどさまざまなステータスの方がいますが、◯◯だから素晴らしい、◯◯だからちょっとね(◯◯にはステータスや環境が入ります)と括ったことも─これは逆に相手への敬意が感じられない?良くない可能性もあるかもしれないが正直肩書きで括ったことはないと思う。好きな人たちのことはどんなステータスでも好き。
だからたとえば知り合いがこれ以上の上がないほど大出世しても「最初からしごできだと思っていたので特に驚きはなく…」という気持ちで偉い偉くない関係なくカジュアルに接してしまうのである。これもまた敬意が見えづらい云々でいいことではないのかもしれないが、それで成立している関係性もあるっちゃあ、ある。そしてもちろん敬意はあるし、肩書きで括ったことはないが私の周囲には優秀な人や人間性が素敵な人が多いから勝手にどんどん道を切り拓いたり出世していくのでそろそろ私がパワースポットな可能性もあるし(?)、その「人を見る目」ってものを別の分野で生かしたり自分を顧みてステキナワタシになれるための材料としても生かしたらいいのにと思う。なんの話だっけ。
 
自分が経験したことのない世界を経験している人のことはもれなく尊敬しているし、それ以外の人になんの感情も生まれないなんてわけもない。
もし自分と全く同じ境遇ならば仲間意識が生まれて嬉しいだろうし、とにかく人を、それぞれひとりの人として見たいと思っている。バックグラウンドはあまり関係なしに(ただ、肩書き含めてその人の持っている長所や努力や才能だとも思うのでバックグラウンドが「全く関係ない」とは言わない。このバランス難しいね)。
 
自撮りのプロだし私が私が、の投稿や会話などから私を承認欲求の塊、自己肯定の鬼と捉えている方もいるかもしれないが自分に自信は昔からずっとない。
というか、ないからこそ自信が持てそうな部分にフォーカスして私を見て、という想いに到達しているのかもしれないな。
 
とにかくある部分の自己肯定感はずーっと低いままだし自分のことは別に自虐してもいいのだが、私はそれも特にしていない。どうせ◯◯だからさ〜、もう年齢もさ〜などなどもあまり口にしたこともないしぶっちゃけそこまで思っていない。なぜか?
 
単に楽観的というのもあるが、いちばんは私の事例で他の人のことまで否定したくないから。
どうせ◯◯だからさ〜、性格に問題があるからさ〜、などなど公に発言をしてしまうと、「たまたま同じ境遇や年代」なだけなのに同じ環境に身を置く方々をまとめて批判していることになるなあと思うからだ。それは嫌だなあと。
 
私のことはどう言ってくれてもいいが(いや、ちょっとはマイルドがいいかな突然鋭利な言葉が顔の見えない状態で届くことに慣れていない)、
同じ境遇であろうあの人の人間性に問題があるなんて思ったこともないぞ。など。
 
みんな言わなくても分かっているとは思うけど敢えて言葉にすると、
ステータスに限らず素敵な人もいれば合わない人もいる。
 
あと、日頃の行いが願いに直結しているわけでもたぶんない。割とそこは偶然な部分も大きいと思う。
極論どんなに性格が悪くても幸せになることはできると思うよ。
そういう意味ではどんなに夢を叶えても幸せを感じられない人もいるし、側から見たらなんにも叶えてなさそうな人でもめちゃくちゃ幸せを感じている人はいると思う。たぶんそれは私もそうで。
 
そう、理解はされづらいこともあるかもしれないけど、世の中に当てはめたら私は全然幸せに見えないのだろうなあとたまに考える。強がっちゃって〜、意地張らなくてもいいんだよ〜など。
でも私、「いま」好きなんだよなあ。
 
過去の情緒がめちゃくちゃなほど頑張っていた自分も好きだし、当時の文章を見ると何物にも代え難い体験を言葉に残していたのは本当に「いいこと」だったと思うけれど、今の穏やかさも気に入っている。
 
ただ、そういう「周囲からどう思われようと楽しいよ〜」的なポジティブ話もあまり公にするつもりもないのですよね。
この生き方を推奨しているわけでもないし、時代なんです!と生きやすさを主張したいわけでもない。自分はラクだけど大して世の中に貢献できていないのでは?と感じると申し訳ないと思っちゃうから、声を大きくしてマイノリティ寄りの権利を主張するよりは普通に淡々と日常を頑張って少しでも社会に貢献できる部分を増やす(税金など)ほうがいいのではという考えがあったりします。
 
 
 
私は比較的人に恵まれているのとラッキーでここまで来られたし、楽天的な見た目とキャラクターに助けられている部分もかなり多いだろうと思っている。あとみんな優しいし頭がいいから傷つくことが少ないのも大きい。とても居心地のいい場所、ふかふかのハンモックやクッションのような世界ばかりに居させてもらって。
 
 
 
って話を誕生日が来たらまとめたいなあと下書きしていたら既にまあまあの文量に。
誕生日まであと1ヶ月もないぞ!その前にクリスマスお正月!楽しみなことがたくさん。
みんないつも本当にありがとう。2023年も2024年もよろしくお願いしたい。
あと、みんな今年も本当にお疲れさま。
きっと誰もが毎日頑張っていると思うから。いろんな環境で、いろんな体験して。
 
将来の夢とかキャリアプランとかこれまで大して持たずに来たけど、ある人と話して確信を強めたことがある。
私、遠い未来、70代80代になれた頃の夢なら割と明確にあるわ。
数年前から憧れのようにたまに口にしていて、今も全くビジョンが変わっていないという気づきに少し嬉しくなってしまった。
来年はその話もできたら、なんて思っています。
 
以上、突然のとりとめもない30代記念の言葉たちでした。
 
あの頃私はこう思っていた系の話、残念ながら自分でも忘れてしまうことがある。
でもこうして文字に残しておけばね。またそこに、いつでも戻れる。

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